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随想と作品一覧

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NO.82 晩秋の丘

 何処のホテルであったか忘れたが、宿泊したそのホテルの一室に、6号(洋画)ぐらいの白黒写真が飾ってあった。樹木の繁った丘の写真で、樹木も丘も真黒で、その向うの空は真白な、コントラストの強い写真であった。
 それで白と黒の境界は樹木の頭の連なりであって、その連なりの起伏が、何とも美しいのである。自然の妙であろうと印象的に見たことを覚えている。
 その印象を押花絵で再現できないかと試みたのが、上掲の押花絵であるが、写真の印象からは遠いものであった。
 











NO.81 竹の姿

 私の作品には竹の作品が多い。竹にもいろいろ種類があると思うが、何という名の竹か分らない。我が社の花の名ならばほとんど知っている植物物博士(愛称)に聞いても分らない。数年前は日常的に夕刻の散歩をしていたが、当時から此の竹だけは美しく見えて、冬の枯葉になっても美しいので驚いていた。
 此の竹の美しさのひとつは、緑色の濃いことであったが、当時の技術ではその濃色を残せなかった。上掲作品に見るとおりである。
しかしその後の技術開発によって、その濃色を残せるようになった。
 歩くのに杖が要るようになった現在は、その竹のある場所に行くのが億劫である。

    











NO.80 はるしゃ菊の花

 秋は春に比べて花が少なく、押花愛好者にとっては、ちと淋しいが、夏の終りから咲き始めるはるしゃ菊は、その群落の華やかさが印象的である。
 先頃はるしゃ菊の群落をイメージした押花絵を作ったが、イメージは表現出来たように思うが、情緒が無いように思えた。
 私達日本人には日本人独得な美意識があって、制作者と観客との間に、その独得な美意識が共有されなかった場合は、感動の共有も起らないように思える。日本人の美意意識は対象が美しく可愛いとき、つつましく侘しいとき、共感して感槻に耽り、情緒を覚えるようである。
 上掲の絵は、はるしゃ菊の静かな佇まいを表現したもので、雉る人に安らぎを与えるようである。













NO.79 秋の終る頃

 10年も前の作品の作り直しである。再使用出来る素材がこれだけであったが、新しいキャンバスの上に置いてみたら、その姿の美しさに驚いた。驚嘆したといってよい。そして更に思ったのが驚嘆する程に見えた己れの美感覚の成長である、喜びと感謝の念で一杯になった。
 バックの配色は未だ未だ未熟で、人に見せるのが恥ずかしい。
 








    

NO.78 藤の花

 素材は白い藤の花であるが、未だ固い蕾が大部分である。鑑賞に耐える絵に作り上げることが出来るかどうか自信がなかったが、試みにと、画面中央に大きな楕円を描き、楕円の中だけを見てくれ、という風な構図を考えてみた。そしたら楕円の中だけが見えて周囲が余り見えない。成功したようである。絵画は省略の芸術というその省略のひとつの方法かなと思っている。
 











NO.77 いろはかえでの花

 いろはかえでの赤い実が美しかったので、何はともあれ、押花絵を1点作ってみた。最初は緑葉も入れて作ったので、何とも詰らない絵に仕上がった。早速に崩し緑葉を全部むしりとって作り替えたのが、上掲の押花絵である。何とか人に見せることが出来る絵になった。私には美しい絵に見えて、満足している。絵画は省略の芸術ということか。
 

  









NO.76 からすうりの花

 からすうりの白い花をメインにした絵である。この頃からバックを濃く塗るようになったと思う。
 永い間アトリエに飾っていたが、飽きがこなかったことを思い出す。白い花が半ば透けて、青い空に生き生きとして美しかったためであろう。
 緑葉は変色して黒味勝ちになっているが、視線は白い花に行き、緑葉の変色が余り気にならない。この辺のことが押花絵では面白い。もし緑葉が鮮やかな緑であったら、この絵はどんな印象となっていたろう。日本人の美意識が頭をもたげる
 












NO.75 白い花

 押花絵を作り始めて25年ぐらい経つが、バックに濃い赤を使い始めたのは、極く最近のことである。上掲の赤色は緑葉の美観を損ねているので良い出来ではないが、何度も作っているうちに腕が上って、いろいろな色合いの赤色が出せるようになり、その効果に驚いている
 









NO.74 ノースポール

 ノースポールの白い花である。自宅の庭に咲いていた。
 以前、或展覧会でコスモスの花で作った上掲のような構図の押花絵を見たが、天を向いて咲いてる筈の花が全部手前を向いていて、化物のような印象を受けたことがある。それ以来、花の押花絵では花の向きが気にかかるようになったが、上掲のノースポールの花は、その問題が余り気にならないので助かった。
 或るデパートでグループの押花展が開催されたが、そのイベント会場の入口に上掲の絵が飾られていた。遠目にも美しかったので一安心したことを覚えている。












NO.73 ふしぎな風景

 私が散歩の道すがらと題する押花絵作品集を出版したのは3〜4年前と思うが、その中に収めた作品である。その頃の私には、腰痛もなく脚にも力が残っていて、毎日夕刻の散歩を楽しんでいた。
 その頃はセイタカアワダチソウが随所にあって、夏には黄色い花を咲かせ、秋には上掲のような枯れ花となった。
 ところが不思議にもセイタカアワダチソウが、何処にも余り見られなくなってしまった。もともと外来種であるので、日本の風土には適合しないのかもしれない。
 セイタカアワダチソウの枯れ花は上掲のように面白い形をしていて絵になるが、それを素材にした押花絵は他に見たことがない。




NO.72 枯れた草

 2年ぐらい前の作品である。この頃から冬枯れの草の美しさに惹かれていたようである。
 冬枯れて何という名の草か解らないが、同じ構図の作品を春の若葉で作った場合は、多分絵にならない。葉が重なり合って緑一色の大きな団子になるであろう。上掲の絵は構図に若干の問題があるが、それを極めて腕が上達すれば立派な絵になることは間違いない。

 

NO.71 冬の朝

 素材はカワラマツバである。絵では黒色であるが、元は緑色である。阿蘇に植物採集に行き、車のトランクに入れて持ち帰ったら、真っ黒になっていて、がっかりしたことを思い出す。
 カワラマツバは真っ黒になっても姿が良いから押花絵には利用価値がある。上掲絵は黒いカワラマツバを横一列に並べた構図であるが、まるで数本の樹木が立ち並んでいるように見える。
 絵の上でカワラマツバの周辺をなぞると、そのイレギュラーが、本物の樹木のように美しい。
 私は自然の山や森や林を見るとき、まず稜線の美しさをなぞる癖があり、それが楽しみである。