随想と作品一覧
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NO.94 シモツケソウの花
シモツケソウの赤い花は美しい。押花愛好者が好んで使う素材である。
シモツケソウの赤い花はアントシアン系であるため、乾燥すれば上掲のような暗紫色になる。しかし我が社が開発した赤花布で、簡単に元の赤色に戻すことが出来る。この処理を上掲作品では施していない。
押花絵では主役の押花を、その色または姿の美しさを際立たせることが、手法または目的であるが、どうやら此の絵は後者を選択したようである。
シモツケソウの赤い花はアントシアン系であるため、乾燥すれば上掲のような暗紫色になる。しかし我が社が開発した赤花布で、簡単に元の赤色に戻すことが出来る。この処理を上掲作品では施していない。
押花絵では主役の押花を、その色または姿の美しさを際立たせることが、手法または目的であるが、どうやら此の絵は後者を選択したようである。
NO.93 小さな樹木
私は一週間に一度は食料買い出しに、近くのスーパーマーケットに行く。その途中の車道と歩道の区切りに柘植の木が植えられている。以前から狙っていたので、工作用の鋏を袋にしのばせて、人通りの少ない時間帯を見定め、
柘植の小枝を二本失敬してきた。
上掲の絵はその中の一本で作った押花絵であるが、もう一本の柘植の枝では作ることが出来なかった。それはその柘植の枝が新聞紙にはさんで20kgの重しを掛けても、板の上に乗せ大工用ゴム槌で叩いても、平板状にならなかったためである。平板状にならなければ押花絵には使えない。シリコーンを接着剤とする真空密封が出来ないからである。柘植の木がそれ程に硬い材質であることを今迄知らなかった。
柘植の小枝を二本失敬してきた。
上掲の絵はその中の一本で作った押花絵であるが、もう一本の柘植の枝では作ることが出来なかった。それはその柘植の枝が新聞紙にはさんで20kgの重しを掛けても、板の上に乗せ大工用ゴム槌で叩いても、平板状にならなかったためである。平板状にならなければ押花絵には使えない。シリコーンを接着剤とする真空密封が出来ないからである。柘植の木がそれ程に硬い材質であることを今迄知らなかった。
NO.92 ハルシャギクの花
自宅の庭に咲いたハルシャギクの花である。新聞紙にはさむ半乾燥法で乾燥し、一気に仕上げた。構図も碌に考えなかったように思う。
花や葉や茎が画面一杯に広がって、私にとっては珍しい作品であるが、私のお気に入りの作品である。
自然の草花の何と美しいことか。その美しいさを言葉で現すことは、私には出来ない。ただ黙って見入るだけであり、飽きることがない。絵を見ていると私には、はるしゃぎくの賑やかな笑い声が聞こえる。
花や葉や茎が画面一杯に広がって、私にとっては珍しい作品であるが、私のお気に入りの作品である。
自然の草花の何と美しいことか。その美しいさを言葉で現すことは、私には出来ない。ただ黙って見入るだけであり、飽きることがない。絵を見ていると私には、はるしゃぎくの賑やかな笑い声が聞こえる。
NO.91 ゆきやなぎ
白い花の付くゆきやなぎは、私の好む押花絵素材である。毎年2.3点の押花絵を作るが、今まではキャンバスの配色を、ブルーやグリーン系の色然色にし、ゆきやなぎの自然感を絵にしてきた。
ゆきやなぎの押花絵の面白さは、枝振りの奇抜さにあると思うので、今回は枝振りの奇抜さを誇張してみたいと思い、キャンバスの配色を自然色で無くて反対色にしてみた。自然界に無い赤紫にしてみた。
その結果は、枝の奇抜さはやや誇張されたと思うが、白い花の美しさも誇張されて、自然界の植物の底知れぬ美しさに脱帽させられる始末と
ゆきやなぎの押花絵の面白さは、枝振りの奇抜さにあると思うので、今回は枝振りの奇抜さを誇張してみたいと思い、キャンバスの配色を自然色で無くて反対色にしてみた。自然界に無い赤紫にしてみた。
その結果は、枝の奇抜さはやや誇張されたと思うが、白い花の美しさも誇張されて、自然界の植物の底知れぬ美しさに脱帽させられる始末と
NO.90 藤の花
此の藤の花は、大牟田市三川の信号電材社長の糸永さんから頂戴したものである。私より一年年長であった糸永さんは、一年程前亡くなって、今はあの世におられる。
上掲の絵は、東京の遊美堂という出版会社主催の美術展に出品し、東京都内展示会場を転々として非常に好評だったらしい。遊美堂の社員からそんな電話をもらったが、評論家が何と言ったのか、その言葉を教えてもらいたかった。
上掲の絵は、東京の遊美堂という出版会社主催の美術展に出品し、東京都内展示会場を転々として非常に好評だったらしい。遊美堂の社員からそんな電話をもらったが、評論家が何と言ったのか、その言葉を教えてもらいたかった。
NO.89 冬を越した椿の枝
私の散歩道には4通りのコースがある。或春の日に、そのひとつのコースである薮の中を抜ける道を歩いていたら、上掲絵のような椿の枝を見つけた。細い枝が曲がりくねり、葉がまだらに付いている。葉は表に艶があるので椿であろうと思った。
枝を切って持ち帰り、新聞紙にはさみ、重い加重を掛けて枝を矯正し、キャンバスの上に置いてみたら、そのまま絵になりそうである。有難いと思ってキャンバスに色を塗り、植物体には手を施すことなく作品に仕上げた。
枝と葉が響き合っているように思えて、良い絵が出来たと思う。
自然は有難い。
枝を切って持ち帰り、新聞紙にはさみ、重い加重を掛けて枝を矯正し、キャンバスの上に置いてみたら、そのまま絵になりそうである。有難いと思ってキャンバスに色を塗り、植物体には手を施すことなく作品に仕上げた。
枝と葉が響き合っているように思えて、良い絵が出来たと思う。
自然は有難い。
NO.88 カラムシソウの最後の姿
私は枯れたカラムシソウで、今まで何点の押花絵を作ってきたことであろうか。全国的に見ても枯れたカラムシソウで絵を作る人は滅多にいないから、私の十八番のようなものであるが、オハコといったら良い作品でなければならず、その点は果してどうであろう。
枯れたカラムシソウは哀れな姿をしている。夏の頃は力漲った葉と茎を持ち、昔は茎の繊維がその強さで織物に利用されていた。そんなカラムシソウが秋も深まると、哀れな姿になり、やがて消えて行く。
名前は忘れたが或評論家が、我が国の絵画展を韓国の大学で開催したとき、私のカラムシソウの押花絵を1点持っていったことを覚えている。
枯れたカラムシソウは哀れな姿をしている。夏の頃は力漲った葉と茎を持ち、昔は茎の繊維がその強さで織物に利用されていた。そんなカラムシソウが秋も深まると、哀れな姿になり、やがて消えて行く。
名前は忘れたが或評論家が、我が国の絵画展を韓国の大学で開催したとき、私のカラムシソウの押花絵を1点持っていったことを覚えている。
NO.87 白たでの群落
何か作品を作りたいと押花保管箱を探していたら、此の白たでが出てきた。 花が小さくて目立ちにくいので、さて意に適う絵が出来るかな、と不安な気持ちのスタートであった。白い花が美しく印象的に見えるようにするにはどうしたらよいかと、背景の色調に精力を傾けた結果、上掲の絵が出来て一応満足している。この絵で美しい部分は、絵の中心付近の小面積だけ(白い花がたわむれている部分)であるが、そこが美しいため絵全体が美しい絵に見えてしまう。 この現象は何であろうか。人間はハガキサイズの絵でも、一度に全体を見ることは出来ない。部分部分を見て全体をつなぎ合せている。その間にやや時間がかかる。ために中心部分を見て、そこが美しかったら、周辺も多分美しかろうと予想して、全体をていねいに見ることを怠り、満足し決着しようとするのではないかと思う。
NO.86 一面に咲く黄色い花
黄色の花は寒菊らしい。大恩あるFさんから分けてもらったもので、押花美術館以来私の作る押花絵は、大半をそのFさんから頂戴した草花で作っている。Fさんは山裾の一軒家という風情の田舎に住んでおられる。
Fさんと同じく押花絵の草花素材を分けてくれるHさんは、大牟田市内に住んでいるが日曜日や休日に奥さんとドライブし、私の好みの草花を探してきてくれる。有り難いことである。
それでときどきFさんと会うとき、大恩あるFさん、と言うと、それだけは言うてくれるなとFさんは言う。こんな関係が4年ぐらい続いている。
Fさんは7年程前、乳癌の手術をされた。7年間も過ぎたのだから、再発の危険も遠のいたであろう。Fさんの幸い多人生を願っている。
Fさんと同じく押花絵の草花素材を分けてくれるHさんは、大牟田市内に住んでいるが日曜日や休日に奥さんとドライブし、私の好みの草花を探してきてくれる。有り難いことである。
それでときどきFさんと会うとき、大恩あるFさん、と言うと、それだけは言うてくれるなとFさんは言う。こんな関係が4年ぐらい続いている。
Fさんは7年程前、乳癌の手術をされた。7年間も過ぎたのだから、再発の危険も遠のいたであろう。Fさんの幸い多人生を願っている。
NO.85 赤い葉
此の絵は2年目ぐらいに作ったものであるが、赤い葉と折れ曲がった黒い木の枝の協奏である。協奏して美しい絵になっている。バックは赤い葉に共鳴させるべきと思って色を探したが、反対色よりも同系色にすべきことが分かり、始めに淡い同系色を塗ったが、赤い花が目立ち過ぎて、今一歩腑に落ちない。そこで少し色を濃くしようと、試しに色を塗ったら上掲の絵が出来て、、未完成ながらこれでよしと頷いた次第である。結局バックは半分塗り掛けであるが、赤い葉と黒い枝の主役の美しさは壊さずに、バックに躍動感を与えている。 こんな絵をつくったのは初めてであるあ。何かヒントを得たような気がする。いつかもう一度この種の絵に挑戦したいと思っている。
黒い木の枝は晩秋か冬の採集物と思うが、この種の素材は採り留めしておいた方がよい。
黒い木の枝は晩秋か冬の採集物と思うが、この種の素材は採り留めしておいた方がよい。
NO.84 枝の形
何の木であったか忘れた。4年ぐらい前の作品である。押花美術館に飾ろうと思った作品であるが、多分お客様の評価は得られないだろうと思って、自宅のアトリエに吊るしておいた。半年ぐらい掛けっぱなしにしていたと思うが、それでも飽きがこなくて、わたしには美しく見えるのである。ために思い切って美術館に出展することにした。
樹木の枝が四方八方に空に向っている姿は美しい。自宅の近くの葉を落した櫨の姿を、寒空に見上げるのは、私の例年の楽しみである。数本あるが、みんな姿が違って面白い。私の書斎には大きな樹木を下から見上げた大きな写真が壁に貼ってあるが、四方に枝を伸ばした姿が、何ともなく美しくて見飽きがこない。
押花を始めてから見え始めた美しさなのかどうかは分からない。
樹木の枝が四方八方に空に向っている姿は美しい。自宅の近くの葉を落した櫨の姿を、寒空に見上げるのは、私の例年の楽しみである。数本あるが、みんな姿が違って面白い。私の書斎には大きな樹木を下から見上げた大きな写真が壁に貼ってあるが、四方に枝を伸ばした姿が、何ともなく美しくて見飽きがこない。
押花を始めてから見え始めた美しさなのかどうかは分からない。
NO.83 紅葉の柿の葉
紅葉した柿の葉は美しい。普通は地に落ちた葉を拾って、その美しさを愛でるのであるが、落ちて時間が経つと美しさが失われてくる。落ちる前はどんなにか美しいだろうと見上げると、高くてあまりよくみえない。
知人から紅葉した柿の葉を貰い、目を見張るほどの美しさに感動して、何とか押花絵にして残せないものかと思い、通常の方法で押花絵にしたところ、全面的に色が褪せて艶が無くなってしまった。発想を変えて作らねばならないこが分かり、いろいろ考えた挙句げく、特殊な方法を試みたら、上掲のごとく、色褪せがなく艶も残る柿の葉の押花絵が出来上がった。早速宮部の押花美術館に飾り御披露したが、数年経った今もそのままである。
上記の特殊な方法は系統化して、多くの皆様に提示しなければならない。
知人から紅葉した柿の葉を貰い、目を見張るほどの美しさに感動して、何とか押花絵にして残せないものかと思い、通常の方法で押花絵にしたところ、全面的に色が褪せて艶が無くなってしまった。発想を変えて作らねばならないこが分かり、いろいろ考えた挙句げく、特殊な方法を試みたら、上掲のごとく、色褪せがなく艶も残る柿の葉の押花絵が出来上がった。早速宮部の押花美術館に飾り御披露したが、数年経った今もそのままである。
上記の特殊な方法は系統化して、多くの皆様に提示しなければならない。












